マスクは最新のインタビューで、AIがあらゆる仕事を奪う未来について、優しくも残酷なたとえを使った。「人間の仕事は、家庭菜園のようになる」という。
トマトやジャガイモは、自分で育てるよりスーパーで買ったほうが安く、手間もかからず、品質も安定している。それでも人は庭で野菜を育て、花の世話をし、自分で収穫した食材で誰かに料理を作る。効率だけでは説明できない喜びが、そこにある。
AIによる仕事の代替と聞くと、多くの人は失業や賃下げを心配する。しかし、その先には「働く意味」そのものが変わる未来がある。
これまで人間は、社会の役に立つことで自分の価値を確かめてきた。物を運ぶ、計算する、コードを書く。その対価として給料を受け取り、「自分は必要とされている」と感じてきた。
だが、AIやロボットがどんな作業でも人間より速く、安く、正確にこなすようになれば、その価値観は揺らぐ。人間は、いわば全員が引退後の人生を迎えることになる。
引退しても充実している人はいる。書道や将棋、園芸、釣りを楽しみ、お金にならなくても毎日を豊かに過ごしている。未来には、そんな生き方が当たり前になるのかもしれない。
手書きの手紙を送る。パンを一から焼く。何か月もかけて、子どもと少し不格好なツリーハウスを作る。速さや安さでは機械にかなわなくても、自分の手で時間をかけたからこそ生まれる価値がある。
機械が暮らしを支える生産を担い、人間は生きることそのものを楽しむ。その未来を考えると、今から向き合っておきたい問いがある。
仕事や肩書き、給料で測られる自分を取り払ったとき、あなたは何に喜びを感じるだろうか。

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