パソコンやインターネットを生み出したのはカウンターカルチャー
最初のコンピュータと言われるエニアックは、大砲の弾道計算に使われた。IBMのメインフレームは、国勢調査の大量のデータを処理するために使われていた。インターネットの元祖のArpanetは、アメリカ国防総省の拠点が原爆で狙われても持ちこたえる軍事用のネットワークとして開発された。電子計算機や通信回線は、莫大な国家予算を費やして作り出された体制の象徴であった。
当時、アメリカの西海岸では、ベトナム戦争反対を叫ぶ若者が中心になり、既存の社会の根幹に関わる制度や規範、文化に対して、反発する価値をその存在意義として掲げる集団によって形成されるカウンターカルチャーが蔓延していた。若者たちは、どうすれば矛盾に満ちた既成の体制をぶち壊せるのか、自由を手にできるのかを模索していた。長髪、ヒッピー、ドラッグ、セックスに明け暮れる社会に背を向けた若者たちが巷に増殖していった。ビートルズが出てきたのもこの頃である。
この雰囲気の中で青春時代を過ごした若者たちは、トランジスタの発明、集積回路の実現、ワンチップに収まるコンピュータの開発により、ダウンサイジングが進み、今まで雲の上の存在だった電子計算機が自分たちでも作れる時代が来たと歓喜した。保守的な東海岸のIBMに代表される紺のスーツを着たホワイトカラーが作り上げたメインフレームによる集中処理に対するすさまじいまでの反発という形で、パーソナルコンピュータを開発していった。
彼らは、小さなパーソナルコンピュータでもCPUの性能が上がればメインフレームと同じことができると気づいていた。たくさんのコンピュータが緩く繋がって処理をしていけば大きなパワーになると信じていた。バッタの大群が広大な耕地を食い尽くすようにインターネットは広がっていった。この伝播を誰も止めることは出来なかった。カウンターカルチャーが巨大なメインカルチャーを食い尽くすのにそれほどの時間はかからなかった。
ホール・アース・カタログをつくったスチュアート・ブランドが、この説に対して、なるほどと思わせる議論を展開している。
「当時は、社会全体に無政府主義が危険なまでにはびこっていたが、権威を軽蔑するカウンターカルチャーのこうした姿勢が、管理者を置かないインターネットのコミュニティ、ひいてはパーソナルコンピュータ革命の哲学的基礎を与えることになった」
GAFAの一角をなすアップルのデベロッパー契約書には、開発パートナーになる条件として、出来上がったシステムやソフトウエアは戦争には使ってはならない、ということが書かれている。反戦、平和を求めるカウンターカルチャーの精神が残っている。ジョン・レノンは歌った。「想像してごらん、宇宙から見たら国境なんてないんだ」ビートルズのレコードレーベルAppleとiPhoneのアップルはこんなところで繋がっている。
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